2013年4月1日月曜日

4月1日事業開始!

名古屋に移ってから仕事を始める準備をしておりましたが、
今日税務署にて個人事業主としての登録を行ってきました。

帰国から丁度一年、自由にやっていましたが、やっと腰をすえて働くことになります。
この間、色々な人に会うことができて、とてもありがたかったです。
人とのつながり、そして縁を強く感じることができた期間でした。

思えば、私のようなどうしようもない人間を心配して声をかけてくれる友人が
たくさんいて、笑顔で迎えてくれました。正直、自分を分析すると、
あまり近寄りたくないような人物であるかなと思いますが、
心の広い友人がまわりにいてとても幸せな事だなと改めて感じました。
また恩をもらったまま朽ちていくのではなく、何か恩返しをしていかなければ、
と思っています。

青年海外協力隊、行ってよかったと思います。

そういうアンケートは見たこと無いですが、帰国隊員OBに良かったかどうかを聞けば
たくさんの人がYesと答えるのではないでしょうか。

帰国してからの進路というのはとても難しい問題です。
帰国後の事を考えないで参加している人は、結構就職するまでに時間が
かかると思います。行動力の欠如は就職難に直結します。

また、それほどたくさんの仕事を選べるようになるわけでもありません。
日本という国の特性上、国際的に活躍できる部署を持っている会社は
限られており、協力隊へ参加する前にやっていたような所へ戻るのが
だいたいの道筋です。これを変えたければ並のことをやっているようでは
難しいです。

もう一度協力隊に参加したいといういい訳を盾にぐだぐだした生活が続いていいましたが、
スッパリと気持ちを切り替えて、個人事業主という道で再スタートを決意しました。
そして決断はしましたが、友人たちの助けなくはこの道は選べなかったと思います。

PC隊員の中には、きっちり帰国前に数社から内定をもらい、再就職先を決めて
帰ってくる人もいます。Facebookでその活動をみさせてもらっていましたが、
行動力はすばらしかったです。やはり、協力隊に参加した云々ではなく、
その人物自体が鍵なのだなと改めて思いました。

協力隊には、すばらしい人、尊敬できる人、頭が良い人、普通の人、
腹が立つ人、陰険な人、みっともない人、たくさんのタイプの人間を見る事ができます。
協力隊間には序列は無く、それらの人と横一線でつながります。
これは貴重な経験です。

協力隊で最も非難を浴びるのは卑劣な人間でしょう。
まだ心にもやもやを残している事件があります。
ある隊員に強姦の容疑がかけられましたが、
結局JICAは適切に事件を処理したと言って刑事沙汰にはならず、
調査を終えた後はまったく取り合ってくれなくなり、女性は泣き寝入りでした。

真相が追いにくいという海外の特徴を利用した犯罪を考える人が
たまに協力隊に紛れ込むことがあります。ただ、そこまではJICAも
察知することができませんし、性犯罪者が出るスキャンダルなど
青年海外協力隊にどれだけのダメージを与えるかわからないので、
穏便にすませようとします。刑事沙汰にしたいといえば、それ以上
取り合ってくれるわけもないですね。結局自分のみは自分で守るしかない。
これから参加される方は十分に注意してください。

さて、長くなりましたが、このブログでの投稿はこれが最後になります。
以後は今の仕事を軌道に乗せるため、100%の力をそちらへ注いでいきます。
ここでは、帰国後の事を甘く考えているとこんな隊員になってしまうという1例を見ていただけたかと思います。

これまでも何度か触れてきましたが、青年海外協力隊への参加は
現職参加制度を使うのをオススメします。

現職参加で参加されている方は、社会的地位がある以上、現地での活動を
より立派なものにしようとする力が加わります。また、仕事がある精神的ゆとりから
色々なことに気がつき、手助けしてくれます。やはりゆとりがあるのはいいなぁ、と思いますね。

Viva 協力隊

2013年3月24日日曜日

顔のシミ

協力隊で派遣されるような場所は紫外線の多い場所が多い。
現地の人と混ざっていると肌のケアなんてだんだんしなくなってくる。

年寄り限定かもしれないが、ラパスでの生活を終えるころ、
顔のシミがかなり増えていた。あとは白髪が相当増えた。

男なのでそれほど気にはしていなかったが、鏡を見る度に
目立つそのシミに、ずっと残るのかな?と少し考えたものだ。

任国より戻って1年、顔のシミがある程度減った。白髪はさすがに
戻らなかったが、ハイペースで白髪化が進んでいたのが止まった。

交通事情の悪さから途上国で命を失うリスクが高まるのは
よく知られているが、肌の細胞の劣化はほぼ全ての人に
起こる現象だろうと思う。

女性は結構行く前にこういう事を考えるのかな?
でも化粧品は半年ぐらいでそこをつくらしい。

2013年3月21日木曜日

新聞に載る協力隊OB

【WBC】決勝 ドミニカ共和国、偉業支えた日本人スタッフ
http://baseball.yahoo.co.jp/wbc/news/detail/20130321-00000089-san/

新卒から協力隊へ参加して、パイレーツのコンディショニングスタッフだそうです。
コスタリカ派遣なのでスペイン語ですね。メジャーは中南米の選手は多いですから、
パイレーツでもスペイン語のコミュニケーションが多いのでしょう。
協力隊での経験を生かしてますね。

こういった形で協力隊出身を語っている人を初めてみたかもしれません。
おもしろいですね。

2013年3月20日水曜日

新天地・舞台は名古屋

1年間。

協力隊にもう一度応募するために準備した期間。
2度落ちたことで、それももう終わる。

4月から本格的に事業を始める。
WEBのIT系になるが、詳細にはこだわらない。

心機一転、気持ちを入れ替えるため引越しをした。
名古屋で再出発。

端から見れば落ちぶれた協力隊OBのIT技術者。
そんな私でもちゃんとやっていけるのか、
これからの生活はとても重要。

今日までの一年はとても穏やかにゆっくりと時間が流れていた。
次の一年はその逆になるだろう。

個人でやる仕事。
全ての責任は自分。

それぐらいの緊張感が丁度いい。









2013年3月16日土曜日

コネで回っていく世の中

国際協力を行っていくうえで、横の連携はとても大事です。
JICAではそれは特に重要であり、帰国後の活動に大きく影響します。

どの企業でも自分の会社に合った人がいれば採用したいと思うように、
JICAでも協力隊出身で魅力的な人がいれば採用に有利に働きます。

青年海外協力隊はJICAの中できっと一番知名度のある部門ですが、
ほんの一部の事業に過ぎず、実は様々な分野で専門家を中心に
進めているプロジェクトがたくさん存在します。もちろん、
そこに投入される人材も金額も大きいので雇用等も発生します。

現地で活動する専門家は青年海外協力隊のメンバーと交流する
機会もあり、OBになった際には再び現地へ赴き専門家等、JICA
関連職に雇われたりすることもあります。

ずっとJICA関連の国際協力事業に関わって生きていくためには、
こういった交流は必要不可欠となります。JICA関連でなくとも、
何らかの形でJICAが関わってくることは多々あるので、コネを
持っていると便利です。

私はJICAで協力隊員のつながりは作れましたが、本部や事務所との
コネを作る事はできませんでした。JICA関連で一番ハードルの低い
協力隊への応募も落ちてしまったので、JICA関連はこの先ありません。
しかしながら、隊員になる前のコネが今やっている仕事に大きく関わっています。

自分が生きていくと決めたフィールドでとにかくコネやつながりを
広めていくことはとても重要です。もし、協力隊に参加して
国際協力を続けていくのなら、事務所や専門家との交流を
深めていくことが不可欠でしょう。

いけ好かない人がいたとしても、それは幻です。
自分のキャリア構成に何が大事なのか先に考えてから行動しましょうね。

2013年2月18日月曜日

JICAの進路相談カウンセラー

進路相談カウンセラーが香川にいる。徳島のような小さな支部にはいない。
だから徳島は香川のカウンセラーを頼ることになる。

協力隊帰国者は無料で進路についてカウンセラーに相談する事ができ、
JICAに問い合わせのあった企業でいいマッチングがあれば、そういった
企業も紹介してくれる。紹介と言っても、まずは面接だから、
落ちる可能性も多々ある。

聞く話で多いのは、前にJICAから紹介された人材が良かったから、
もう一人取りたい、というもの。紹介される会社は、人材が一人二人の
レベルで増えても減っても、問題ない20名以上の規模が多い。

徳島周辺ではコンピュータ技術はあまり引きが無いのか、
一度紹介されたのは営業職であった。やはり東京、大阪に行かねば
コンピュータ関連は厳しいのかな。

しかしながら、ありがたい話である。就職先なぞ、それぞれが
がんばって見つけてくるものであろうが、JICAはわざわざ人を配置して
路頭に迷う?協力隊経験者に就職先を紹介しようと気にかけてくれる。
そもそも、協力隊に参加する事で皆が成長し、引く手あまたな人材に
なってしまえば、そういったカウンセラーも必要ないのであろうが、
私のようにフラフラとしている人間が他多数いるのであろう。

協力隊に2度落ちたことだし、私も生活を見直し、
独立してやっていくことにした。カウンセラーにもそう伝えた。

できればスペイン語を役立てられる事をしたかった。
できれば海外経験がプラスになる事をしたかった。
そうすれば、青年海外協力隊に参加した意義を高められるから。
でも、そうならなかった。

カウンセラーから紹介された会社で、プログラマから営業への転身も
ちょっと面白そうだけど、ちょっとやってく自信が無いです。

自分で自分の道を開くしかないね。

2013年2月17日日曜日

青年海外協力隊で有利になる職業

青年海外協力隊に参加した事を売りにしても、
就職先は相手にしてくれない事は書きました。

では、協力隊に参加した事で有利になる場合とはどんな事なのか。

例えば、同じスキルの人が2人いて、一人は協力隊経験者、
もう一人は未経験者。そうなってくると、経験者は自分のスキルの他
協力隊での体験を語る事ができて、よりたくさん話すきっかけを作れます。
面接は自分を売り込んでナンボな世界ですから、相手を聞く態勢に
もって行きやすいと思います。それだけでも実は十分なアドバンテージに
なるでしょう。

あとは、協力隊関連事業でしょう。協力隊出身の人の方が色々と
都合がいいので、そちらに進む人も多いです。期間契約の仕事が多いので、
長期を見据えての仕事は少ないですが、払いはいいようです。
JICA本体に入れば安泰ですね。

2013年2月12日火曜日

青年海外協力隊の経験が就職に有利となるのか?

コンピュータ技術ですが、37歳では青年海外協力隊の経験が評価される事はありません。

協力隊で何をしたか?という事よりも、その国で会得した「語学スキル」を
重要視された事はありました。そのため、最初の面接はスペイン語で行われ、
2回目の技術面接は日本語で、派遣中に行った活動よりも、派遣前にしてきた
仕事を評価の対象とされました。一応、内定を頂きましたが、お断りしました。

コンピュータ技術でよく聞く話ですが、前職に戻るパターンがとても多いです。
やはり技術レベルや性格がわかっている人なので、戦力になると思われれば、
前職から誘われるのは普通かもしれません。

その他、コンピュータ技術は、人材紹介サイトに登録して紹介を待つケースが
多いですが、より深く見られるのは「スキル」と「語学」です。

結局は、青年海外協力隊に参加した!という事はどうでもいいのです。
そこで最終的に何をしたのか、何を達成したのか、それが重要です。
それが、人材を募集している企業に明確に売り込めなければ、意味がありません。

協力隊に参加する前から自分のスキルに相当の自信があれば、どの要請でもかまいませんが、
もし協力隊に参加した事を有利に働かせたいのであれば、応募する際の
要請の選択はとても重要です。

将来設計をする際、どの言語が企業でニーズが多いのか、
どういった要請内容が帰国後の自分が進みたいと考える就職先で有利になりそうか、
そんな事も踏まえて協力隊には応募すべきだと思います。


もう一度言います。

青年海外協力隊に参加した事は、誰も評価してくれません。

あなたがどんなスキルを持ち、
どんな人物であるか、
それが重要です。

青年海外協力隊に参加したことは何の自慢にもなりません。
参加した事で得た知識と経験が明確に示されて初めて評価の対象となるのです。

青年海外協力隊に落ちた人間からの一言

青年海外協力隊には3回応募して、最初の1回だけ通りました。
「初心忘れるべからず」と言いますが、私はその心を忘れてしまったようです。
そのため2回目以降をパスすることができませんでした。

協力隊への想いが強ければ強いほど、落ちたときはショックです。
最初通った時は、落ちるといった経験がなく、受かった事も当然のように感じていました。
もちろん通った理由などを深く考えた事もなく、ただ総合的に評価されたのだろうと
思っていました。

今回落ちてみて思ったのは、落ちた理由がわからない、でした。

簡単な理由は示してくれ、健康不安、技術不足、語学不足、競合負け、のどれかを知らされます。
健康不安、語学不足は明確な数値で示されます。そのため、対応さえできれば、
次回の応募で改善する事も可能です。

技術不足は明確に技術を示せるものもありますが、コンピュータ技術のように自分の
履歴書を書くだけの場合は、面接官のさじ加減ひとつで変わります。相応の職歴があれば、
技術不足を言われることはまずありません。

競合負けはよく起こると思います。ただ、希望以外の国でも派遣をOKするかは面接で
聞かれるので、そこでOKと言っておけば競合負けは一気に可能性が減ります。まして、
コンピュータ技術のように要請数に対して応募数が圧倒的に少ない場合は
競合負けは起こりにくくなると考えるのが普通です。

となると、その他の理由が考えられますが、それ以上の回答は望めません。
理由がわからない以上、自分で憶測するしかありませんが、憶測では
JICAが欲しいと思っている人材からは遠ざかってしまう事もあります。

私の場合、2回目の参加を希望していましたが、同期で2回目を即パスした人がいるので、
2回目以降の応募が難しくなるわけではないようです。

そうなると、隊員時代の行動が悪く評価されているのかと思うのですが、
それならば1次の書類審査で落ちるのが自然です。2次の面接はJICA負担で
人を呼び寄せるためお金がかかりますから。

最後に残るのは面接になります。
面接では強く、日本の発展の影に途上国があり、そういった国で奉仕することにより、
バランスを保ちたい、という事を訴えました。これは1次の書類にも多々記述しました。

結局、憶測が憶測を呼び込んでしまうため、落ちた理由がわからなければ、そこで終わりです。
それ以上食い下がろうとしても、応募するしかないのですから、落ち続けるだけです。

今は現職参加制度をJICAは強く押しているので、
企業から参加する方が受かりやすくなっているのかもしれません。

私はこれ以上、青年海外協力隊に応募する気が無くなりました。
今後、個人で働き、経験を積んで、65歳ぐらいでシニアに応募してみようかと思います。

青年海外協力隊のプログラム自体はとても良いものだと思っています。
後は全て人です。参加している人の力にかかっています。
一人でも多く、優秀な人が増えるよう願っています。

2013年2月6日水曜日

青年海外協力隊にまた落ちた!

24年度秋募集に応募していましたが、また落ちました。

TOEIC 855点
LAMPに加えてJava経験豊富、民間で就労経験7年
海外での生活経験8年
派遣先、希望地以外でもOK

今回は落ちた理由がよくわかりません。
動機が悪かったのでしょうか?

これ以上応募しても受かる気がしないので、
ここで諦めたいと思います。

また新しいブログ立ち上げようかな。

2013年2月1日金曜日

台湾にきています

昨年末に大阪で再開した台湾人の友人に呼ばれたのもあって、
台湾へ3週間ほど滞在することにしました。旅行というには、
あまり旅行の準備をしておらず、どちらかというと日本の
知り合いの家にお邪魔しているのと同じ感覚でいます。

せっかくなので、台北の町をひたすら見て回っていますが、
半分はPCを見ながら過ごしています。今している仕事柄、
とくに仕事を行う場所はインターネットさえあればどこでも
できるので、台湾に来ていても不自由を感じません。

台湾は思った以上に都会で、先進的です。
貧富の差というか、富める人がたくさんいるのを肌で感じます。
日本だと金持ちは金持ちエリアに住んでいるのでしょうけど、
台北は全てが入り混じってごちゃごちゃで、
金持ちが普段から目に見えるところにいる感じがします。
日本では高級そうな車も頻繁には見かけませんが、
台湾では道を歩いているとすぐに目に入ります。

平均賃金は10万円ほどだそうで、日本と比べると低いですが、
10万あれば普通に暮らせる町なので、貧しいとは言えないですね。
ほぼ全ての人がスマートフォンを持っていますし。

町は道が広く、とても整備されており、どこへ行くにも迷いません。
東京は道がややこしくてわかり難いですから、差を感じますね。

これまであまりアジアに目を向けてこなかったですが、
少し興味を持てました。格安航空ができてから、
とても近い場所になりましたし、もっと行く機会を設けたいです。